長崎にこのようなお話があったとは知りませんでした。現代では国民総ケイタイ病(ケイタイに夢中になり自分の世界に浸り,周囲の状況がみえていない)でちょっとした他者への気配りもできなくなっています。本当に物事や事象を観察する力は失われているような気がします。もちろん自分も含めてですが。
職場までバスを利用することが多いのですが、お年寄りが乗車してきて、まだ席についていないのにすぐに発進するバスの運転手がほとんどです。たまにお年寄りが席につくのをみはからってバスを動かす運転手がいると、めずらしいなあ、こんな運転手さん、いるんだ。と思うくらいです。ちょっとしたマナーを注意するだけですぐに殺されちゃう現代にあっては、このようなお話は本当にすごいと思います。鬼塚道男さんは当時21歳、塩狩峠の長野政雄さんは30歳。
職責(この言葉はいまや死語になりつつあるような、、)を重く受け止め自らの命によって乗客を救った 語り継ぐべきお話です。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(新約聖書 ヨハネの福音書15章13節)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070901-00000017-nnp-l42
長崎、バス車掌殉職きょう60年 「乗客第一」先輩に誓う 社員ら 伝え続ける決意
9月1日17時8分配信 西日本新聞
戦後間もない1947年9月1日、自らの命と引き換えに乗客を救ったバスの車掌がいた。峠の途中で故障し、がけに向かって後退するバスの下に飛び込み、転落を防いだ長崎自動車(長崎市)元車掌の鬼塚道男さん=当時(21)。公共交通機関のモラルが問われる事故が続く中、鬼塚さんの話は後輩たちに語り継がれ、命を預かる任務の重さを伝え続けている。
その日午前、鬼塚さんが乗り込んだバスは乗客30人余りを乗せて、長崎県時津町の打坂峠を登り切る直前で立ち往生した。ギアシャフトの故障だった。
こう配約20度の曲がりくねった坂道。ブレーキも利かなくなり、ずるずると後退する先には高さ十数メートルのがけが迫った。鬼塚さんは車外に飛び出し、近くの石を車輪にかますなどしたがバスは止まらなかった。最後に鬼塚さんが選んだのは、自らの身をていすることだった。
転落寸前に止まったバス。鬼塚さんは後輪の下敷きになって見つかった。弟の輝人さん(71)=兵庫県西宮市=は「正義感の強かった兄は、何としても乗客を救いたかったのでしょう」と語る。
長崎自動車運転手の近藤安博さん(32)=長崎市=は8月31日、現場に建立された地蔵を訪ね、手を合わせた。
尼崎JR脱線事故や過重労働の運転手の居眠りで27人が死傷した大阪府吹田市のスキーバス事故など「乗客軽視」が浮き彫りになる事故が続く。新入社員研修で鬼塚さんの話を知った近藤さんは「私も乗客の安全を第一に考える運転手であり続けたい」と誓った。
同社は3日、地蔵前で鬼塚さんの法要を営む。
=2007/09/01付西日本新聞夕刊=
伝えたい故ふるさと100のお話
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato090.htm
長崎県時津町HP
http://www.town.togitsu.nagasaki.jp/index.html
塩狩峠(長野政雄)
1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄という人物が列車に身を投げ、自ら客車の下敷きとなり乗客の命を救って殉職するという事故が起こった。現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くには、この事に対する顕彰碑が立てられている。またこの実話を元に、三浦綾子が小説『塩狩峠』を書き新潮文庫から出ている。
長野政雄氏遺書
「苦楽生死均しく感謝。余は感謝してすべてを神に捧ぐ」