こわれたオームのように繰り返される答弁「政治資金法に基づいて適正に処理されている。」
この人、中核派の暴れん坊だったのね。座右の銘は
「泰山は土壌を譲らず」だそうな。結局は嫌悪していた世襲議員となってエリートコースを歩いているわけだ。坂本龍一と女性問題で袂を分かっていた、って、なに、女性をとりあったのですか。ついでだから、座右の銘の意味(政治家の座右の銘はすばらしいものばかりなんだけど、なぜか、、ね。)泰山は土壌を譲らず、故に能く其の大を成す。河海は細流を択ばず、故に能く其の深さを就す。
『史 記』泰山(中国の名山)は小さな土くれをも受け入れたからこそ高い山になったし、黄河や海は小さな流れをも受け入れたからこそ深くなったという事から、広い心の持ち主は、どの様な人々の小さな意見をも謙虚に受け入れる物であるとのたとえ。
(中国の歴史書)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070721k0000m010165000c.html
塩崎官房長官:事務所費1330万円使途不明…共産党指摘
自らの事務所費についての一部報道に関する記者の質問に答える塩崎恭久官房長官(中央)=首相官邸で20日午後4時54分、藤井太郎撮影 共産党の志位和夫委員長は20日、仙台市で記者会見し、塩崎恭久官房長官の政治団体の事務所費について、05年の計2100万円のうち約1330万円の使途が不明だと指摘し、「領収書を出して明らかにすべきだ」と批判した。同日配達された共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の日曜版(22日付)でも報じている。
志位氏は「(塩崎長官の地元である)松山市の一つの事務所を、自民党選挙区支部と個人後援会の二つの政治団体が使っている。その上で不明分がある。これはなかなか説明しがたい」と述べた。
これに対し、塩崎長官は同日夕、首相官邸で記者団に対し「私の政治資金収支は政治資金規正法に則って適正に処理されている。他の国会議員とそんなに変わった数字(金額)ではない」と反論。「政治資金収支報告はずっと公開してきたが、(参院選挙期間中の)このタイミングでどうして出てくるのか。場合によっては厳重に抗議をしたい気持ちだ」と不快感を示した。
一方、この問題について民主党の小沢一郎代表は「閣僚は法律で許されているといっても、問題が指摘された以上は(領収書を)公開すべきだ。説明がどうしてもできないのであれば、職を辞する以外にないと思う」と批判した。【三沢耕平】
wikiより引用
生年月日 1950年11月7日
出生地 愛媛県松山市
出身校 ハーバード大学
ケネディ行政大学院
学位・資格 行政修士(MPA)
前職・院外役職(現在) 日本銀行
塩崎潤衆議院議員秘書
所属委員会
・内閣役職(現在) 内閣官房長官
世襲の有無 二世
父・塩崎潤
選出選挙区
(立候補選挙区) 愛媛1区
当選回数 4回(参院当選1回)
所属党派(現在) 自由民主党(古賀派)
党役職(現在) 愛媛県連会長
国家ビジョン策定委員会幹事
会館部屋番号 衆議院第一議員会館619号室
ウェブサイト [1]
塩崎 恭久(しおざき やすひさ、1950年(昭和25年)11月7日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員、元・参議院議員。経済企画庁長官、総務庁長官を務めた元衆議院議員・塩崎潤の長男。
日韓議員連盟、日朝友好議員連盟所属。
略歴
1970年 東京都立新宿高等学校卒業。
1975年 東京大学教養学部教養学科アメリカ科卒業、日本銀行入行
1982年 ハーバード大学大学院(ケネディスクール)修了、行政修士号を取得。同年、父・潤が経済企画庁長官に就任したのに伴い退職し秘書官となる。のち日銀復職。
1985年 日銀退職、政治の道へ。途中、父の総務庁長官就任に伴い秘書官を務める。
1993年 第40回衆議院議員総選挙に愛媛1区(当時)から、立候補、初当選
1995年 第17回参議院議員通常選挙で当選。
1997年 大蔵政務次官に就任(~1998年7月)。
2000年 衆議院愛媛1区に復帰、当選。
2000年 自民党外交部会長(~2001年1月)。
2002年 自民党財務金融部会長。
2004年 衆議院法務委員長。
2005年 第3次小泉内閣にて外務副大臣に就任。
2006年 自民党愛媛県連会長就任。
安倍内閣にて内閣官房長官に就任。国務大臣「北朝鮮による拉致問題担当」を兼務。
来歴
1975年(昭和50年)に東京大学教養学部教養学科を卒業して、日本銀行に入行、在職中にハーバード大学大学院(ケネディスクール)を修了。父の入閣に際し日本銀行を退行し、秘書官に就任。父の引退を受けて、1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙に、旧愛媛1区から立候補して初当選。
1995年(平成7年)、小選挙区制導入に伴い、同じ松山市を地盤とする関谷勝嗣と変則コスタリカ方式を結んで参議院愛媛選挙区に回り、参議院議員に転身する。1998年(平成10年)頃から安倍晋三、石原伸晃、根本匠とともに政策グループNAISを結成し、年金や福祉問題を中心に活動。また金融危機に伴う1998年の「金融国会」で石原伸晃や民主党の若手議員らとともに金融再生トータルプラン、金融再生法の策定に奔走、「政策新人類」と呼ばれて注目された。自民党総裁選挙では、若手議員の結集を図ろうと動いたこともある。
2000年(平成12年)、衆議院解散で参議院議員を辞職し、塩崎が関谷の地盤を引き継いで衆議院に回り、関谷は塩崎の代わりに参議院に回って、衆議院議員に復帰する。同年末の加藤の乱では、当時宏池会(加藤派)所属であったことから加藤紘一に同調し、森内閣不信任案に賛成する決意を固めるが、思い通りの賛同者が集まらず頓挫。石原伸晃と共に加藤を痛烈に批判し、以降は無派閥となった。
続く小泉内閣では「加藤の乱」に連座した議員の復権が目立ち、塩崎の要職就任も再三取り沙汰されたが、重用された石原伸晃とは対照的に目立った活躍は無かった。2005年(平成17年)になって、加藤の乱後に分裂した宏池会の反加藤グループである堀内派(現・古賀派)に入会。同年、第3次小泉内閣の外務副大臣に就任。
2006年(平成16年)9月、古くからの盟友関係にある安倍晋三が総理大臣に就任すると、内閣のスポークスマンである内閣官房長官に就任し、初入閣を果たした。安倍首相(清和会)と塩崎官房長官(宏池会)は出身派閥が異なるが、自民党内閣において首相と官房長官の出身派閥が異なるのは平成以降では、1989年の宇野宗佑首相(政策科学研究所)と塩川正十郎官房長官(清和会)、2000年の森喜朗首相(清和会)と青木幹雄官房長官(平成研究会)以来3組目である(ただし、森首相と青木官房の場合、前首相危篤による暫定内閣という性格を持っていたため前内閣の全閣僚留任という形を取っており、首相が本格的に組閣した内閣という意味からは遠い)。
2007年7月、自身のホームページに記載しているメールアドレス宛てに脅迫メールが届き、中川秀直幹事長にも同様のメールを送り逮捕された小学校教師の犯行と警察は見ている。
人物
会見などで英単語を多用するその姿勢から、インテリ長官と呼ばれている。ニックネームはその強気から「英語のできる橋龍」
高校時代にAmerican Field Service(AFS)で1年間のアメリカ留学を経験。帰国して一つ下の学年に所属したことから、坂本龍一と同級となり親しくなったという。当時、「どうせ、おまえはそのうち自民党の代議士になるんだろうから、そのときは応援に行ってやるよと」坂本龍一に言われた。つまり、この頃から国会議員になるのは既定路線だったといえよう。
その坂本龍一とは、女性問題で数年間、袂を分かっていたが、坂本のアカデミー賞受賞時に和解した。
元日銀出身のエリートというイメージが強いが、高校時代は社会科学研究部(中核派)に所属し、砂川にデモに行くなど活動した([2])。高校卒業後は一浪し、駿台予備学校に在籍。その間、浪共闘(全国浪人共闘会議)にて学生運動に参加していたこともある。
「父の代わりに担がれただけで国会議員なんてやりたくなかったし、嫌嫌だった。一番批判されるべき対象の典型的な二世議員でした。もちろん、今は本気です。」と自らTVのインタビューで昔を振り返っている。
座右の銘は、「泰山は土壌を譲らず」(司馬遷の『史記』李斯列伝)。
妻・塩崎千枝子は学生時代の同級生で松山東雲女子大学教授。山梨県甲府市出身。
不祥事
年金未納問題
政治家の年金未納問題に伴い、3年4ヶ月の未払い期間があることを公表した。
事務所費問題
2007年7月20日、塩崎恭久官房長官の地元後援会と自民党の選挙区支部の事務所費に関して、2005年に1330万円の使途不明金があると日本共産党が指摘している。
後援会と自民党支部は共に松山市内のビル2階に事務所を置いており、2005年の事務所費は両団体合わせて約2100万円となっている。家賃はそれぞれ月10万円で年240万円、電話代やリース料などで530万円が支出され、残りの計1330万円が使途不明となっていると指摘している。 塩崎官房長官:事務所費1330万円使途不明…共産党指摘 毎日新聞 2007年7月21日 1時27分
著訳書
ロバート・ライシュ他『アメリカの挑戦』(中岡望らとの共訳 東洋経済新報社)
スヴェン・スティンモ『税制と民主主義―近代国家の財政を賄うためのスウェーデン・イギリス・アメリカのアプローチ』(塩崎潤と共訳 今日社刊)
『日本復活 「壊す改革」から「つくる改革」へ』(プレジデント社刊)
『日本経済起死回生トータルプラン』(石原伸晃、根本匠、渡辺喜美らとの共著 光文社刊)
その他雑誌論文等多数