http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007071001000713.html
ハーグ事件はPFLP主導 武器提供者供述を証拠採用
2007年7月10日 21時49分
「オランダ・ハーグのフランス大使館占拠事件で殺人未遂罪などに問われ、1審で懲役20年の判決を受けた元日本赤軍最高幹部重信房子被告(61)の控訴審公判が10日、東京高裁(安広文夫裁判長)であり、「事件はパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が主導する作戦だった」などとする武器提供者の陳述書が証拠採用された。
陳述書は、1970-80年代に欧州で相次いだテロを指揮した国際テロリストのカルロス(本名イリイッチ・ラミレス・サンチェス)受刑者=パリで服役中=の供述を弁護側がまとめた。
カルロス受刑者は94年にスーダンで逮捕され、終身禁固刑が確定し収監されており、重信被告の弁護人が昨年9月に面会するなどして供述を得たという。
カルロス受刑者は、ハーグ事件の指揮系統や武器提供の経緯などを説明した上で「重信被告の関与は物理的に不可能だった」としている。
一方、検察側も2001年3月にカルロス受刑者と面会し参考人調書を作成、この調書も10日の公判で証拠採用された。
(共同)」
wiki
ハーグ事件
1974年9月13日、西川純、奥平純三、和光晴生の3人が、拘束されたメンバーの釈放を目的にオランダのハーグにあるフランス、アメリカ等の西側諸国の大使館を占拠した。フランス政府は超法規的措置として逮捕していたメンバーを釈放した。
重信房子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年9月3日 – )は、テロ組織日本赤軍の最高指導者及びテロリスト。東京都生まれ。本名:奥平房子(旧姓:重信)。
父親は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。重信は赤ん坊の頃、血盟団そして後の護国団の指導者の井上日召の膝に抱かれたことがあるといわれている。父は、雑誌のインタビューに対して「娘は立派な右翼です」と答えたといわれている。 学生運動全盛期には「ブントのマタハリ」と呼ばれた。
経歴
東京都立第一商業高等学校卒業後、キッコーマンで働きながら明治大学文学部地理学科(二部)に通った。学費値上げに絡んで学生運動に参加。
1971年2月、共産主義者同盟赤軍派の国際根拠地論に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士と偽装結婚(奥平剛士は1972年5月、民間人ら100人以上を殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)。 日本国内での赤軍派本体の壊滅により、日本赤軍を発展的に結成。拠点をアラブに移し、パレスチナ解放機構と合流した。パレスチナ人男性と結婚。
秘密裏に帰国中の2000年、大阪府高槻市にて逮捕監禁容疑で逮捕される。移送先の警視庁の女性留置場で囚人組合を結成し、オルガナイザーぶりを発揮するものの、2001年には獄中から日本赤軍解散を発表している。
東京地方裁判所(裁判長・村上博信)は2006年2月23日、「(ハーグ事件は)パリ当局に逮捕された元メンバーを奪還するために日本赤軍が主導した事件。重信被告はパレスチナ解放人民戦線に武器調達を依頼するなど重要な役割を担っていた」と指摘、「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかではないが、被告がアラブ諸国の協力組織を介するなどして実行犯と共謀したと認められる」と認定、ハーグ事件について監禁・殺人未遂(共謀共同正犯)などで懲役20年の有罪判決を受けた。判決理由はその一方で、中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できないとし、検察が求刑していた無期懲役を退けた。重信は判決後の法廷で、ガッツポーズをみせ「がんばります」と傍聴席に声をかけた。
弁護側は、ハーグ事件当時、日本赤軍が組織体制を確立しておらず、PFLPの作戦であったから重信が指示・指導する立場ではなかったうえ、謀議があったとされる時期にはリビアにいたと主張しており、「事実を事実として検証せず、権力に迎合する不当な判決だ」と批判した。
ジャーナリストである娘の重信メイ(重信メイの英語の項)と主任弁護人の大谷恭子は同日、司法記者クラブで記者会見した。メイは「母が何度もこぶしを上げていたのは『これからも頑張る』という意味。今日の判決は最後ではなく、戦いの始まり」と表明。大谷も、「推測に推測を重ねた不当判決。共謀共同正犯の認定は慎重に検討しなければならないという刑事裁判の鉄則を無視したもので、納得できない」と判決を強く非難し、ただちに控訴する方針を明らかにした。