「長いものには巻かれろってね、いうじゃない。」ってTV番組でいっていた小池百合子議員。なるほど、政界渡り鳥らしいわ。カイロ大学文学部社会学科卒業。ならばイスラム通でしょう。なのに、アメリカイラク戦争を支持したとはね。山羊座に月とドラゴンヘッドで、山羊座小泉元首相に引き立てられたのか。トランジット土星がネイタル冥王星にコンジャンクションとなる今後、何があるかしら。それにしてもあまりにもお粗末君なあべし。無問題から厳重注意で辞任受け入れ(?)と決断力なしをこれでもか、とみせてくれますね。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070704k0000m010182000c.html
久間防衛相辞任:世論読み違え、傷口広げた首相
久間防衛相の辞任に関して記者の質問を聞く安倍首相=首相官邸で3日午後6時47分、内藤絵美撮影 久間章生防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言した問題は3日、安倍晋三首相による擁護から一転、久間氏の辞任という参院選公示(12日)を目前にした安倍政権にとって最悪の事態となった。首相は発言直後から辞任の必要性はないとの立場だったが世論の反発は強く、年金記録漏れ問題に続き、再び世論を読み違えた格好だ。対応が後手に回り、傷口を広げた首相。任命責任が問われることで選挙戦のみならず、投票後の責任論議にも影響しそうだ。
3日午後1時。首相官邸5階の首相執務室。安倍首相は久間氏と向かい合った。久間氏が切り出した。
「長崎市長もお見えになった。これ以上(政府・与党の)皆さんに迷惑をかけてもいけませんし、参院選が私の発言でマイナスになっても困る。一つのけじめをつけなきゃいかんと思いますので、辞任します」
「そうですか。その決意を受け止めます」
首相は硬い表情で、慰留もせずあっさりと辞意を了承した。久間氏はこの後、防衛省に戻った折、記者団に囲まれ「友人と昼食を共にしながら、辞めるなら早く決めた方がいいと思い、首相に辞意を伝えた」と選挙への影響を懸念しての自らの判断と強調した。
首相は2日に官邸に久間氏を呼んで厳重注意したばかり。6月30日、遊説先の愛媛県の車中で発言を知った際は「何でそんなことを言うんだ」と不快感をあらわにした。しかし、その直後、久間氏発言について記者団から問われると「米国の考え方について紹介したと承知している」と述べ、あえて問題視しない姿勢を強調した。
「いろいろ釈明しないでちゃんと謝罪してほしい」。1日、塩崎恭久官房長官と自民党の中川秀直幹事長が断続的に電話で連絡を取り合い、塩崎氏は久間氏の留守番電話に吹き込んだ。首相に近い政府・自民党幹部からは「久間さんはほんとうにしょうがない人」「あの人の顔は見たくもない。会いたくもない」といった声が漏れたものの、同日の久間氏の陳謝会見を受け、「更迭は必要なし。続投」が首相サイドのコンセンサスになりつつあった。首相周辺は1日時点で「もうこれで落ち着くよ」と進退問題には発展しないとの見通しを示している。
しかし、事はそう甘くはなかった。「これでは選挙は戦えない」--。参院選を控え、年金問題で世論の逆風にあえぐ参院自民党と公明党の怒りは尋常ではなく、引導を渡す役割に動き出した。公明党が3日午前、久間氏の釈明を聞くため約束していた面会を直前にキャンセルしたことは、重要なシグナルとなった。
「安倍君が任命した人なんだ。結局そこに行き着く。佐田(玄一郎前行革担当相)君、松岡(利勝前農相)君、久間。全員論功行賞だからね」
さらに、参院自民党を束ねる青木幹雄議員会長は2日朝、周辺にこう漏らしていた。首相の任命責任にズバリ切り込んだ発言は、公務員制度改革関連法成立のため、首相が青木氏ら参院側の反対を押し切り強引に今国会の会期延長を押し通したしこりを物語っていた。
◇公明党が一足先に事実上「引導」
「昨日の段階までは公明党は収束に向け動いていた」。久間章生防衛相辞任表明が伝えられた3日午後、公明党幹部はこう断言した。
異変はこの日朝、公明党から起きつつあった。太田昭宏代表らは「影響が大きすぎる」(同党幹部)として、表向きは発言せず、「音無しの構え」に徹していた。だが、支持母体の創価学会も含め同党内で、久間発言への怒りはすさまじかった。
実は久間氏は午前9時半からの同党国会連絡会議に釈明のため出席する約束になっていた。
その約1時間半前、同党の斉藤鉄夫政調会長から防衛省の西川徹矢官房長に電話が入っていた。
「久間防衛相が我が党の会議に出席していただく予定になっていますが、出席をキャンセルしてもらえませんか」
久間氏は8時半に住居の赤坂議員宿舎を出発。首相官邸での閣議を終えた後、記者団に「公明党の会議に出ますか」と聞かれ「いや、行かない」とだけ答え、そのまま防衛省に戻った。久間氏は出邸時も閣議前も口を結んで硬い表情で、公明党が面会を拒否したことにショックを隠せなかったようだ。
久間氏不在の公明党の会議では、浜四津敏子代表代行が「久間さんには辞めていただきたい」と強硬論を主張。「連立与党だからと言って、官邸の言うように久間氏をかばっていたら選挙が戦えない」との意見が大半だったという。
会議終了後、久間氏を待ちかまえていたテレビカメラに向かって浜四津氏は「党としては見解を決めていないけれども、私個人としては(女性を子供を産む機械に例えた)柳沢伯夫厚労相の発言も問題だったが、それとは質的に違う重大な発言だ」と強調。「自分の身の処し方を賢明に判断していただきたい」と自発的辞任を求めた。浜四津氏は同党と創価学会の女性層に大きな影響力を持つだけに、この発言の意味は重かった。
一方、午前11時から始まった自民党総務会では、ベテランの深谷隆司元通産相が「怒りを感じる。抗議する」と発言。丹羽雄哉総務会長は総務会後の記者会見で「極めて不適切な発言」と強調。「反安倍色」の濃い加藤紘一元幹事長も「内閣がもっときりっとしていなければならない」と語った。選挙を戦う参院側からも東京選挙区で出馬する保坂三蔵参院議員が2日、辞任要求を唱えていた。自民党も「辞任コール」一色だったが、すでに公明党が一足先に久間氏に事実上、引導を渡していたのだった。
午後1時過ぎ、公明党の北側一雄幹事長のもとに自民党の中川秀直幹事長から「久間辞任」の電話があった。
久間氏も午後4時半過ぎの辞任会見で「今日の午前中あたりから、与党が困っているなと感じ始めた。選挙を控え自民党だけでなく公明党もやりづらいのではないかと非常に感じた」と認めた。
参院選を前に与党が大きな打撃を受ける中、1日の党首討論でも久間氏の発言を取り上げた民主党の小沢一郎代表は3日「こういった政権を是とするか非とするか、それは主権者たる有権者が判断する」と語った。辞任劇が終わった後、ある参院自民党幹部は「もうこの内閣は死に体だなあ」とつぶやいた。
毎日新聞 2007年7月4日 3時00分
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久間防衛相の後任に小池百合子氏
7月4日2時2分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070703-00000011-yom-pol
久間防衛相の後任に決まり、記者の質問に答える小池首相補佐官
安倍首相は3日、辞表を提出した久間防衛相の後任に、国家安全保障担当の首相補佐官で、小泉前政権で環境相と沖縄相を兼務した小池百合子氏(54)(衆院東京10区、自民党町村派)の起用を決めた。
皇居での認証式は4日午後に行われる。防衛庁時代を含め、自衛隊の最高指揮監督権を持つ首相に次ぐ防衛トップに女性が就くのは初めてで、政権のイメージ回復を図る狙いがありそうだ。ただ、首相と出身派閥が同じで、首相とも近いとされる小池氏の起用に、自民党内から不満や懸念の声も出ている。首相が久間氏の更迭を否定していたにもかかわらず、辞任に至ったことで、首相の対応の是非も問われそうだ。
首相は3日夜、久間氏の辞任について、首相官邸で記者団に「辞任するというのは政治家として、閣僚として、大変重い決断だ。その決断を尊重した」と繰り返し述べた。小池氏の起用については「私の内閣でずっと安全保障担当の補佐官を務めてもらった」と語り、安全保障政策に精通していることと、自身に近いことを理由に挙げた。」
wikiより
小池百合子(こいけ ゆりこ、1952年7月15日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。
日本新党、新進党、自由党、保守党、保守クラブを経て現在は自由民主党に所属。第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣、第3次小泉内閣において環境大臣を歴任。参議院議員も1期務める。
日韓議員連盟所属。日本会議国会議員懇談会副幹事長。
衆議院議員 小池百合子 生年月日 1952年7月15日(54歳)
出生地 兵庫県芦屋市
出身校 カイロ大学文学部社会学科卒業
関西学院大学社会学部中途退学
学位・資格 学士
前職・院外役職(現在) 参議院議員
キャスター
アラビア語通訳
所属委員会
・内閣役職(現在) 防衛大臣
世襲の有無 東京10区
選出選挙区
(立候補選挙区) 5回(参1回)
当選回数 自由民主党
所属党派(現在) 町村派
党役職(現在) ‐
会館部屋番号 衆・第1議員会館343号室
生い立ち
甲南女子中学校、甲南女子高等学校卒業。在学中は、テニス部・ソフトボール部とE.S.Sに所属。1971年9月、関西学院大学社会学部を中退。神戸で衣料関連の貿易商を営んでいた父親が衆議院選挙に兵庫2区から立候補し惜敗。一家はエジプトに渡る。
「アラビア語が国連の公用語になる」との新聞記事がきっかけで、カイロ・アメリカ大学でアラビア語を修めたのち、カイロ大学へ進学。1976年10月、カイロ大学文学部社会学科を卒業。エジプト滞在中に、ピラミッドに登った経験もある(現在はエジプト政府によりピラミッドに登ることは禁止されている)。
ジャーナリスト時代はアラファトPLO議長(当時)や、リビアのカダフィ大佐への単独インタビューを成功させるなどして名声を高めた。
政界渡り鳥
1992年7月に日本新党比例区で参議院議員に当選、1993年7月の総選挙で兵庫2区から出馬し、衆議院議員に当選した。その後、諸政党の分裂・統合に際しては新進党、自由党、保守党と所属政党を渡り歩く。その為、政界渡り鳥と揶揄されることもある。
自民党入党
2002年12月27日に自民党に入党して総裁派閥である清和政策研究会(現・町村派)に所属。第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣に抜擢されて入閣。2003年の総選挙では近畿ブロック比例単独で比例名簿第3位に登録されて当選した。
2003年2月、アメリカのイラク戦争を支持する立場から「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」を連名で新聞発表。
第2次小泉内閣でも環境大臣として再任され、2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役となった。
9月11日の第44回衆議院議員総選挙で郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起の対立候補として兵庫6区から東京10区に移り立候補。東京10区(豊島区)を選んだ理由として、選挙区帰りやメディアのインタビューにおいて東京に近いことが望ましいこと、小林が自民党の反郵政民営化派としてメディア露出が多かったこと、前回総選挙で小林と鮫島宗明の票差が僅差であったことなどがあげられている。「刺客」と呼ばれメディアに注目される選挙区となったが、次点候補に大差をつけて圧勝した。
選挙後、温暖化対策という名目で環境税と銘打った新税の導入構想を発表。だが、環境税の導入は反対が多く、先送りとなった。
第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)も兼務。
2006年4月6日発売の週刊新潮で「永田町では危篤説や自殺未遂説が流れている」と報じられたりしたが、同14日に退院し、公務に復帰。復帰会見で「女性の場合、男性の10倍くらい結果を出さないとなかなか認められないから、つい、がんばりすぎちゃうんですよね。」と発言。また、クールビズの時には、男性社員の厚着のせいで女子社員が冷房で寒い思いをしている、と働く女性への擁護発言もあった。
2007年7月3日、久間章生の失言による辞職を受け、安倍晋三内閣総理大臣補佐官(安全保障担当)より横滑りする形で、第2代防衛大臣に就任する予定。なお、戦前の陸軍省、海軍省、前身の保安庁、防衛庁時代も含め、女性閣僚が国防を担う省庁のトップとなるのは日本の歴史上、初めてとなる。
人物
「新しい歴史教科書をつくる会」をサポートする目的で作られた「歴史教科書問題を考える会」(会長:中川昭一農水相)や「拉致議連」のメンバーでもある。
1984年、東京大学に在籍していたトルコ人留学生の抗議を受け、「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」と改められた。この青年に陰で指導したのが、青年と親交があった小池と言われていたが、本人も後日新聞報道でそれを認めている(1985年4月11日毎日新聞夕刊報)。
平沢勝栄と同様で政界一の“亀田興毅ファン”を自認。小池自身も亀田の所属する協栄ボクシングジム練習生である。
小泉内閣の環境大臣として、クール・ビズ、冷房の28℃設定、などの導入を先導してきた。しかし、お膝元の環境省では、トップダウンで冷房設定を28℃にしたところ、OA機器の廃熱等により室温30℃近い部署が続出し、36℃超の部署まで発生したため、職員から労働安全衛生法違反との声が出た。
厚生労働大臣柳澤伯夫の「女性は子供を産む機械」発言に対し、2007年2月4日、小池はテレビ番組にて「柳澤(伯夫)さんだけじゃなくて、イスラムの国よりも、日本における男性の、女性に対する見方は遅れてるんじゃないか」と語り、イスラム国家は「女性に対する見方が遅れている」との前提に立って柳澤に対し苦言を呈した。
略歴
1971年 甲南女子高等学校を卒業し関西学院大学社会学部に入学、のち中退
1976年 カイロ大学文学部社会学科卒業
1977年 アラビア語通訳、講師(日本アラブ協会顧問)
1979年 日本テレビで、番組「世相講談」のキャスターなど
1990年 テレビ東京で、番組「ワールドビジネスサテライト」のキャスターなど
1992年7月 日本新党から比例区で参議院議員に初当選
1993年7月 日本新党から兵庫2区で衆議院議員
1993年8月12日 総務政務次官に就任(-1994年4月28日)
1996年10月 新進党から兵庫6区で衆議院議員
1999年10月5日 経済企画総括政務次官に就任(-2000年4月5日)
2000年4月5日 経済企画総括政務次官に再任(-7月4日)
2000年6月 保守党から兵庫6区で衆議院議員
2002年12月 保守党を離脱。自由民主党に入党
2003年9月22日 環境大臣に就任(-11月19日)
2003年11月 自由民主党から近畿比例区で衆議院議員
2003年11月19日 環境大臣に再任(-2005年9月21日)
2004年9月27日 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)兼任(-2005年9月21日)
2005年9月 自由民主党から東京10区で衆議院議員
2005年9月21日 環境大臣・内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)に再任(-2006年9月26日)
2006年9月26日 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に就任