ほとんどwiki、当該議員HPなどからの引用。日食内閣です。阿部内閣に続く二回目。ただじゃすまされないでしょうねえ。
内閣総理大臣
福田 康夫
生年月日 1936年7月16日(72歳)(蟹座)
出生地 東京府東京市
出身校 早稲田大学政治経済学部卒業
学位・資格・称号 経済学士(早稲田大学・1959年)
前職 丸善石油従業員
衆議院議員秘書
世襲の有無 2世
父・福田赳夫
選挙区 群馬県4区
群馬県第4区
当選回数 衆6回
党派 自由民主党
没年月日 いずれ。
* 1936年7月16日 東京都世田谷区に生まれる
* 1949年3月:東京学芸大学附属小学校卒業
* 1952年3月:麻布中学校卒業
* 1955年3月:麻布高等学校卒業
* 1959年3月:早稲田大学政治経済学部経済学科卒業 丸善石油入社
* 1962年3月:米国駐在(2年間)
* 1976年11月:退社し、衆議院議員秘書となる
* 1977年12月:内閣総理大臣秘書官(~1978年12月)
* 1986年5月:社団法人 金融財政事情研究会理事(~1994年2月)
* 1990年2月:第39回衆議院議員選挙当選(1期)
* 1992年6月:衆議院外務委員会理事(~1999年10月)
* 1993年4月:日本スリランカ協会会長(~2000年10月) 7月:第40回衆議院議員選挙当選(2期)
* 1995年8月:外務政務次官(~1996年1月)
* 1996年10月:第41回衆議院議員選挙当選(3期) 11月:自由民主党外交部会長
* 1997年9月:自由民主党副幹事長 11月:日本イエメン協会会長(~2000年10)
* 1998年8月:自由民主党財務委員長
* 1999年10月:自由民主党経理局長
* 2000年6月:第42回衆議院議員選挙当選(4期) 7月:自由民主党政務調査会副会長 10月:国務大臣内閣官房長官・国務大臣沖縄開発庁長官(第2次森内閣) 12月:国務大臣内閣官房長官(第2次森改造内閣(中央省庁再編前))
* 2001年1月:国務大臣内閣官房長官・男女共同参画担当大臣(第2次森改造内閣(中央省庁再編後)) 4月:国務大臣内閣官房長官・男女共同参画担当大臣(第1次小泉内閣)
* 2002年9月:国務大臣内閣官房長官・男女共同参画担当大臣(第1次小泉内閣第1次改造内閣)
* 2003年9月:国務大臣内閣官房長官・内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)(第1次小泉内閣第2次改造内閣) 11月:第43回衆議院選挙当選(5期) 国務大臣内閣官房長官・内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)(第2次小泉内閣)(~2004年5月7日)
* 2004年6月:衆議院憲法調査会幹事 日本スリランカ協会会長 7月:(財)日本インドネシア協会会長
* 2004年5月7日 定例記者会見の席で官房長官の辞任を表明
* 2005年1月:自由民主党新憲法起草委員会安全保障及び非常事態に関する小委員会委員長 3月:(財)日本ユースホステル協会会長 6月:(社)日本カヌー連盟会長 9月: 第44回衆議院選挙当選(6期)
* 2006年10月:自由民主党総務
* 2007年9月23日:第22代自由民主党総裁
* 2007年9月25日:国会で第91代内閣総理大臣に指名
* 2007年9月26日:宮中に参内し、親任式及び閣僚の認証式を経て福田康夫内閣が発足
総務大臣
増田 寛也
前岩手県知事。21世紀臨調(新しい日本をつくる国民会議)前副代表。)。東京都出身。父は増田盛(ますださかり)元参議院議員。
)
生年月日 1951年12月20日(射手座)
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略歴
経歴
* 1964年 東京都世田谷区立九品仏小学校卒業
* 1967年 東京都世田谷区立尾山台中学校卒業
* 1970年 東京都立戸山高等学校卒業
* 1976年 国家公務員上級甲種試験合格
* 1977年 東京大学法学部卒業。建設省入省
* 1994年 建設省建設経済局建設業課紛争調整官を最後に退官
政歴
* 1995年 岩手県知事初当選(当時全国最年少43歳)
* 1999年 同再選
* 2003年 同三選
* 2007年 任期満了により退任(四選不出馬)
o 8月27日、安倍改造内閣で総務大臣に就任。
o 9月26日、福田内閣で総務大臣に再任。
法務大臣(新任)
保岡 興治
生年月日 1939年5月11日(69歳)(牡牛座)
出生地 出生地:東京都
本籍地:鹿児島県大島郡宇検村
出身校 中央大学
学位・資格 法学士
前職 裁判官・弁護士
所属委員会
内閣役職 憲法調査特別委員会 与党筆頭理事
法務委員会 委員
国家基本政策委員会 委員
世襲 二世(父・保岡武久)
選出選挙区 鹿児島1区
当選回数 11回
所属党派 (自由民主党→)
(自由改革連合→)
(新進党→)
自由民主党(山崎派)
所属院 衆議院
選挙区 鹿児島県1区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 11回
政党 自民党
* 自民党遊技業振興議員連盟会長であり、パチンコ業界と強い繋がりを持つ。
* 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[2]
* グレーゾーン金利廃止には反対の意見を表明して高利貸金業界やサラ金業界を擁護していたが、サラ金などによる多重債務者問題を救済すべきだとの声が自民党内からも強くなり、ついに保岡の主張は退けられてグレーゾーン金利は廃止されることになった。(注:地元である鹿児島県貸金業協会の顧問を務めている)
* 国土審議会委員
外務大臣
高村 正彦
生年月日 1942年3月15日(66歳)(魚座)
出生地 山口県周南市
出身校 中央大学
学位・資格 法学士
前職 弁護士
所属委員会
内閣役職 外務大臣
世襲 二世
父・高村坂彦
選出選挙区 山口県第1区
当選回数 9回
所属党派 自由民主党(高村派)
党役職 税制調査会副会長
所属院 衆議院
政党 自民党
# 1965年3月 中央大学法学部法律学科卒業
# 1968年4月 弁護士登録
# 1980年6月22日 第36回衆議院議員総選挙(旧山口2区・自民党公認)1期目当選。
# 1983年12月18日 第37回衆議院議員総選挙(旧山口2区・自民党公認)2期目当選。
# 1986年7月6日 第38回衆議院議員総選挙(旧山口2区・自民党公認)3期目当選。
# 1990年1月24日 第39回衆議院議員総選挙(旧山口2区・自民党公認)4期目当選。
# 1993年7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧山口2区・自民党公認)5期目当選。
# 1994年6月30日 国務大臣経済企画庁長官就任。
# 1996年10月20日 第41回衆議院議員総選挙(山口1区・自民党公認)6期目当選。
# 1998年7月30日 外務大臣就任。
# 2000年6月25日 第42回衆議院議員総選挙(山口1区・自民党公認)7期目当選。
# 2000年7月4日 法務大臣就任。
# 2003年9月20日 自由民主党総裁選挙に出馬
# 2003年 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(山口1区・自民党公認)8期目当選。
# 2005年9月11日 第44回衆議院議員総選挙(山口1区・自民党公認)9期目当選。
# 2007年8月27日 防衛大臣就任。
# 2007年9月26日 外務大臣就任。
* 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[2]
* 統一教会(世界基督教統一神霊協会): 国会議員になる以前は統一教会の訴訟代理人を務めており、1980年には統一教会の女性信者が強制改宗させられているとして、裁判所に人身保護請求を行なってその信者を解放させたことがある[1]。
1989年の政治資金収支報告書によれば、霊感商法の元締め的会社であるとされる「ハッピーワールド」から時価380万円の高級車(日産・セドリック)を提供されている[3]。
「勝共推進議員」であった(1990年4月1日現在)が、外務大臣に就任した年の『週刊ポスト』(1998年12月4日号)紙上では統一教会との関係について、冷戦構造下において共産主義反対というところで一致していただけで統一教会の弁護士をやめる際に今後は一切、相談は受けないことを申し入れたこと、統一教会の教祖文鮮明に対してビザ発給などで便宜を図ったことはないこと、1999年の入国に協力するつもりはないことなどを語っている。また、『週刊現代』(1999年2月27日号)が1999年に行なった国会議員へのアンケートに対しては、「弁護士としての関係がかつてあったが、今は何の関係もない」と回答している。
* 「全国貸金業政治連盟」(全政連):サラ金業界の政治団体であるが、ここから政治献金を受けている
* 日韓議員連盟副会長
* 北京オリンピックを支援する議員の会副会長。
* 日中友好議員連盟会長
財務大臣
伊吹 文明
生年月日 1938年1月9日(70歳)(山羊座)
出生地 京都府京都市下京区
出身校 京都大学
学位・資格 経済学士
前職 大蔵省
所属委員会
内閣役職 衆・決算行政監視委員会委員
世襲 世襲ではない
選出選挙区 京都府第1区
当選回数 衆8回
所属党派 自由民主党(伊吹派)
党役職 党本部幹事長
道路関係団体からの献金
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
事務所費
2007年1月10日に彼の資金管理団体「明風会」が、賃貸料がかからない議員会館を事務所にしながら、年間約4000万円を事務所費として政治資金収支報告書に記載していたと一部で報道された。また、一部の資金を交通費・飲食費などにも流用していた。
秘書官は「飲食を含む会合費としても300万~400万円かかっているし、夫人や秘書の京都との往復交通費もかかる。事務所が議員会館だけでなく京都にも存在している」と説明している。また、彼が代表を務める「構造改革研究会」も政治活動が乏しいのに事務所費を支出したと報道された。
1月12日深夜、自身が記者会見に応じ「(会員の国会議員間の)勉強会はやめたが、相互の親睦をやっている」と不正支出疑惑を否定した。「(領収書の必要な)政治活動費に入れるべきだという考えはあるが、冠婚葬祭費など領収書が取れないので事務所費に入れた。総務省と議論してきたうえでのことだ」と資金の正当性を改めて強調した。
トラブル
[ 違法寄附金受領問題
伊吹の秘書が代表を務める自由民主党京都府明風支部が、京都ホテルから2003-2006年の4年間に渡り寄附金を受け取っていたことが発覚した。京都ホテルは10年超に渡って累積赤字を抱えており、京都ホテルの寄附は政治資金規正法第22条の4に違反すると指摘された。
京都ホテル総務部部長は「年会費として支出しており、寄付という認識がなかった。今後は管理部門が精査する社内体制を築き、認識の違いが起こらないようにしたい」[3]と謝罪している。伊吹の事務所は「欠損があるとは全く知らなかった」[3]と釈明している。
不祥事
収支報告書誤記載
2007年2月20日、『読売新聞』の調査で、2005年の衆議院議員総選挙における伊吹の選挙運動費用収支報告書に、実際の収支と異なる記述をしていた事実が発覚した。
選挙運動費用に200万円超の残金が出たため資金管理団体に戻した際、パーティー券収入として記載していた。伊吹は「恥ずかしい話だが、担当者の勘違いがあった」[4]と語っており、故意ではなくミスであると発言している。なお、選挙運動費用収支報告書への故意の虚偽記載は公職選挙法違反に該当する。
違法献金受領問題
2007年3月7日、参議院予算委員会での参議院議員井上哲士(日本共産党)の質問により、伊吹が社団法人から違法献金を受け取っている疑惑が発覚した[5][6][7]。
日本共産党、政治資金収支報告書などによると、伊吹の秘書が会計責任者の自由民主党京都府明風支部は、2005年3~7月に12億600万円超の補助金交付決定を受けた社団法人、および、2005年3月に900万円超の補助金交付決定を受けた社団法人から、2005年8月に献金を受け取っていた。政治資金規正法第22条の3には「国から補助金(中略)を受けた会社その他の法人は、当該給付金の交付の決定の通知を受けた日から同日後一年を経過する日(中略)までの間、政治活動に関する寄附をしてはならない」との規定があり、上記献金がこの規定に違反すると指摘されている。
2007年3月7日の参議院予算委員会にて、伊吹は、国からの直接の補助金でないことを確認済みであると答弁している。
発言
* 「死人に口無し」(2007年5月28日、松岡農水大臣の自殺に関して)
* 「民主党マニフェストは不渡り手形」(2007年12月6日、日本外国特派員協会にて)
* 「民主党はピストルを持った小学生」(2007年12月29日、額賀福志郎財務相の証人喚問を野党で単独議決した民主党の対応に対して)
* 「民主党はカタログ販売」(2008年1月8日の記者会見で民主党の施策実行能力を皮肉って)
* 「お殿様は国民だ。国民が使っているものに年貢が追いつかない場合は、国民が年貢をもう少し増やすのは当たり前のことだ」(2008年5月13日の記者会見で消費税などの増税に対して)
* 「勝とうと思うと一種の目くらましをやらないとしょうがない」(2008年7月16日、京都市内の講演で次期衆院選について)
▼文部科学大臣
鈴木 恒夫(新任)
生年月日 1941年2月10日(67歳)(水瓶座)
出生地 神奈川県横浜市港北区
出身校 早稲田大学第一政治経済学部 卒業
学位・資格 政治学士
前職 毎日新聞記者
所属委員会
内閣役職 衆議院災害対策特別委員長
世襲 無
選出選挙区 神奈川県第7区
当選回数 6回
所属党派 自由民主党(麻生派)
党役職 党総合農政調査会副委員長
環境基本問題調査会副会長
与党環境教育推進に関する小委員会委員長
留学生等特別委員長
自然体験活動推進議員連盟会長
核軍縮議員ネットワーク代表
鳥類保護議員懇談会会長
国際軍縮推進議員連盟事務局長
* 1941年(昭和16年)2月 神奈川県横浜市港北区師岡町で出生。
* 1953年(昭和28年)3月 横浜市立大綱小学校卒業。
* 1956年(昭和31年)3月 横浜市立大綱中学校卒業。
* 1959年(昭租34年)3月 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。
* 1963年(昭和38年)3月 早稲田大学第一政治経済学部卒業。
* 同年4月 毎日新聞東京本社に入社。政治部記者として、15年間勤務。
* 1977年(昭和52年)7月 衆議院議員・河野洋平(新自由クラブ代表)の秘書になる。
* 1983年(昭和58年)12月 衆議院議員総選挙に神奈川1区(中選挙区制)から初めて立候補し、落選。
* 同年12月 田川誠一・自治大臣の大臣秘書官に就任する。
* 1984年(昭和59年)11月 河野洋平の秘書に復帰する。
* 1986年(昭和61年)7月 衆議院議員総選挙に立候補(2回目)し、初当選。
* 同年8月 新自由クラブの解党により、自由民主党へ入党する。
* 1990年(平成2年)2月 衆議院議員総選挙に立候補(3回目)し、当選(2回目)。
* 1992年(平成4年)12月 文部政務次官に就任する。
* 1993年(平成5年)7月 衆議院議員総選挙に立候補(4回目)し、落選(実は新党さきがけ結成参加予定していたが断念)。自由民主党総裁秘書役に就任する。
* 1995年(平成7年)1月 自由民主党神奈川県第7選挙区支部長に就任する。
* 1996年(平成8年)9月 神奈川県第7区(小選挙区制)から立候補(5回目)し、当選(3回目)。
* 同8年11月 環境政務次官に就任する。
* 1997年(平成9年)9月 自由民主党環境部会長に就任する。
* 1999年(平成11年)1月河野グループ旗揚げに参加。10月 衆議院文教委員長に就任する。
* 2000年(平成12年)6月 衆議院議員総選挙に立候補(6回目)し、当選(4回目)。
* 同年7月 文部総括政務次官に就任する。
* 同年12月 自由民主党政務調査会副会長に就任する。
* 2002年(平成14年) 衆議院法務委員会委員。衆議院文部科学委員会理事、党政調副会長、党組織本部副本部長に就任する。
* 2003年(平成15年)11月 衆議院議員総選挙に立候補(7回目)し、比例復活で当選(5回目)。衆議院議院運営委員会理事、自由民主党国会対策副委員長に就任する。
* 2005年(平成17年)9月 衆議院議員総選挙に立候補(8回目)し、当選(6回目)。文部科学委員会委員。衆議院議院運営委員会理事、決算行政監視委員会筆頭理事、政治倫理審査会理事に就任。文教制度審査および教育基本法検討特命委員会の両事務局長、環境基本問題調査会副会長などに就任。
* 2006年(平成18年)9月自由民主党総裁選挙で大勇会次期会長の外相麻生太郎の推薦人及び選対事務総長(03年総裁選では高村正彦推薦人)
* 同年10月 党情報調査局長に就任。
* 2007年(平成19年)9月 衆議院災害対策特別委員長に就任。
* 同年10月 次期衆議院議員総選挙には出馬せず政界引退を表明。
▼厚生労働大臣
舛添 要一
生年月日 1948年11月29日(59歳)(射手座)
出生地 福岡県北九州市八幡東区
出身校 東京大学
学位・資格 学士
前職 政策研究所代表
所属委員会
内閣役職 厚生労働大臣
世襲 無
選出選挙区 比例区
当選回数 2回
所属党派 自由民主党(無派閥)
文化人として
政界入り以前は競走馬も保有していた。サプライズパワー(東京ダービー、かしわ記念、日本テレビ盃の勝馬)の馬主であり、サプライズパワーとアトミックサンダーで2年連続東京ダービーを制している。ファイティング・ナイフやハンティング・ナイフのコレクターで、東京でサミットが開かれて厳戒体制が敷かれているさなか、車(日産・テラノ)の荷台に何本かのナイフと1本の木刀を載せて都内を走っていて逮捕されそうになった。
英語、フランス語に堪能で訳書も多い。その他のヨーロッパ諸言語にも通じ、1997年には『舛添要一の6カ国語勉強法』という本を出版した。留学先のフランスで始めた柔道は講道館二段である。
『朝まで生テレビ!』には草創期からの常連出演者で、番組20年目を迎えた2006年春までの229回の放送中95回に出演。これは大島渚(87回)、高野孟(66回)、西部邁(53回)などを凌いでトップである。1996年3月放送の『朝まで生テレビ!』(テーマ:ホンネ激論!日韓共生の道はあるか!?)において、2002年のワールドカップ誘致合戦に話題が及ぶと「私に言わせればサッカーなんてたかが球ケリですよ! たかが球ケリの為に日韓関係が壊れてはいけない。ぜひ次のワールドカップは韓国で開催して頂きたい。それで日韓関係が良くなるのならそのほうがいい。」と発言。韓国側のパネリストから拍手を受けた。
週刊文春の連載「デーブ・スペクターのTOKYO裁判」[1]で、中国天安門事件に関し舛添は「いや共産主義じゃなくとも、100万人ぐらい殺せる大政治家じゃないとどこの国でもダメだってこと」「僕は宇野さんに何十人愛人がいてもいいと思う。企業から何億円お金もらったっていいと思う。大事なのは彼がどういう政策を実行するかという点です。へソの下はどんなにダーティでもいい」「土井たか子みたいに男に恵まれないような女性に限って、男の浮気を批判するんだ。金丸信がいったように、男も知らない女が党首になっちゃ、社会党もダメだね。人類の半分を知らない奴に政治はできない」「政治家にはものすごいエネルギーが要求されるの。日本国民1億2000万人を救うためなら、軍隊を出動させることだってある。自分の嫁さん以外の女の1人や2人抱くぐらいのエネルギーがないような奴に日本の政治は任せられないよ」と発言した。
2000年問題
2000年問題のとき、あまりにも大げさに騒ぎすぎたこともあった。ホテルの缶詰などを誇らしげ、楽しそうにルンルン気分で用意していたが、結局何も起こらなかった。この事を「号外!!爆笑大問題」において「着々と準備中」とトーク。が、不用意に「自分は山かどこか安全な所にテントでもたてて、民間人は…(手助けしない)」と発言。渡辺正行から「それじゃ、あんた都知事選に落選するよ!」と、突っ込まれた。そして本当に落選した。
介護問題
2000年に実母が亡くなるまでの数年間は、介護のため週末は北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載[2])。母の介護を巡る困難や親族との軋轢など[3]を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っており、自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つともなった[4]。
以上のような体験を持つため、麻生太郎外相の「アルツハイマー発言」には激怒。「バカと一緒になりたくない」と街頭演説の時間をずらすなど、党執行部にいながらも自由な発言をした。後に、「久間さんの失言問題と同じように辞めろと言うつもりだった。謝ったからいいけど」と、怒りが収まらないまでも、これ以上問題を引きずらないことを明らかにした[5]。
政治家として
郵政造反組復党問題においては、無所属議員の復党を強く支持したが、落選していた衛藤晟一の復党・参院選出馬が持ち上がった際は参院選の責任者の立場から「百害あって一利なし」などと発言している。衛藤の復党に反対する理由として、舛添は「公明党との選挙協力に支障が出るため」と述べている。しかし過去において、自身が1999年の東京都知事選挙に無所属で出馬した際、対立候補の一人である明石康(元国連事務次長)が公明党との選挙協力を円滑にする意図のあった自民党に擁立された候補であることに激しく反対していた。
尊敬する政治家は野中広務と青木幹雄である(舛添の所属派閥は当選以来無派閥)。また党の政策部会への出席率は高く、野中からは「自民党議員は舛添さんを見習うべき」と評された。現実に野中らは2003年の自民党総裁選の際、反小泉の統一候補として舛添擁立を真剣に考えていたとされる。反小泉候補としては他に平沼赳夫擁立構想が一時取り沙汰されていたが、野中と平沼が政治的信念を180度異にすることや派閥の領袖だった亀井静香が難色を示したため、実現に至らず、舛添の名が浮上したとされる(後に亀井自身が立候補している)。野中は筑紫哲也NEWS23に出演した際、「秘策がある」と明言しているが、その秘策とは舛添擁立構想を指すものと思われる。野中は最終的には舛添擁立を断念し、藤井孝男を擁立した。
憲法改正に積極的な考えを持つものの、保守色の色濃い形での改正には反対の立場をとる。中曽根康弘元首相が中心となって作成した自民党憲法草案の原案から、「日本の国柄」を明記した箇所を小泉純一郎首相(当時)を説得する形で削除させたのは舛添である。小泉自身、政界引退を自ら迫るほど中曽根を嫌っていたことから、舛添の提案はすぐに受け入れられた。
厚生労働大臣として
厚生労働大臣就任後、労働法制に詳しい識者にホワイトカラーエグゼンプション法を、「家庭だんらん法」に言い換えるよう指示。さらに法案成立に全力を尽くすとしている。
2007年8月下旬に社会保険庁や社会保険事務所職員による年金保険料の着服問題が発覚した際、「盗人には牢屋に入ってもらう」とし、刑事告発を検討した[6]。また、社会保険庁よりも地方の社会保険事務所のほうが着服件数・着服総額が多かったことに鑑み、「市町村は社会保険庁よりもっと信用ならない」と発言した。これに対し、年金保険料の横領が確認されていない自治体市長から抗議を受けたが、舛添は「小人(しょうじん)のざれ言に付き合っている暇はない」と発言した[7]。この発言を受け、各地の市長から反発を招いたが、舛添は「バカ市長って言ってほしいということなんですか。バカ市長、アホ市長って言うよりいいじゃないですか。含みがあって」「頭からバカ市長と言われるのは嫌でしょう。だから、小人(しょうじん)って言った。その温かみだけは感じて下さいよ。教養の問題、教養」と、更なる批判を展開した[8]が、2007年10月16日参院予算委員会において、これらの発言について「非常に不適切な言葉であった」と述べ、撤回した。
2007年ユーキャン新語・流行語大賞で「消えた年金」という言葉が受賞。その授賞式に、年金問題の当事者であり、行政の責任者である厚生労働大臣として授賞式に出席。笑顔で賞を受け取る。
2007年12月11日、上述の「消えた年金」に関係し、宙に浮いた年金記録約 5000万件中、945万件の特定が困難との社会保険庁の調査結果を受け記者会見し、「他の方が大臣になっても結果は同じ。ないものはないんだから」、「(参院選で)年金は最大のテーマ。『できないかもしれないけどやってみます』なんて言いませんよ」と発言し、開き直りではないかと報道された[9]。
2008年1月19日、医師不足問題についての国民対話集会で、「医者は十年後にしか育たない。仮に、いま足りない医師をばーんと増やしたら、十年たったら余って医者のホームレスが生まれることになる」と発言し、厚生労働大臣としての配慮に欠けると批判された。[10]
日本電産社長の永守重信による「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」[11]「休みたいならやめればいい」[11]との発言に対し、舛添は2008年4月26日に「労働関係法令はきちんと遵守してもらわないといけない。きちんと調査し、指導すべきは指導し、法律にもとるものがあれば厳正に処分する」[12]と指摘した。
農林水産大臣
太田 誠一
生年月日 1945年10月30日(62歳)(蠍座)
出生地 福岡県福岡市
出身校 慶應義塾大学大学院
学位・資格 修士(経済学)
前職 大学教員
所属委員会
内閣役職 農林水産大臣
世襲 有(岳父が亀井光福岡県知事)
選出選挙区 福岡県第3区
当選回数 8回
所属党派 自由民主党(古賀派)
党役職 党総務
コミュニティに関する小委員長
行革推進本部・特別会計改革委員長
人権問題等調査会長
略歴
* 1961年 3月 – 福岡教育大学附属福岡中学校 卒業
* 1964年 3月 – 慶應義塾高等学校 卒業
* 1968年 3月 – 慶應義塾大学経済学部 卒業
* 1973年 3月 – 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程 単位取得退学
* 1976年 4月 – 福岡大学経済学部 助教授
* 1977年 9月 – 米国ブラウン大学 客員助教授
* 1980年 6月 – 衆議院議員選挙 初当選
* 1988年12月 – 大蔵政務次官
* 1991年 1月 – 衆議院・土地問題等に関する特別委員長
* 1991年11月 – 衆議院・大蔵委員長
* 1993年 1月 – 自民党・財政部会長
* 1994年 4月 – 自民党離党、新党自由党結党
* 1995年 7月 – 自民党復党
* 1996年11月 – 自民党筆頭副幹事長
* 1998年 7月 – 国務大臣総務庁長官・行政改革担当大臣 中央省庁等改革推進本部副本部長、青少年対策本部長
* 1999年10月 – 自民党・行政改革推進本部副本部長兼事務局長
* 2000年12月 – 自民党・政治制度改革本部長
* 2001年 5月 – 自民党・行政改革推進本部長
* 2002年 9月 – 金融再生特別委員長
* 2003年11月 – 第43回衆議院議員総選挙で落選
* 2005年 9月 – 第44回衆議院議員総選挙国政復帰、自民党・党改革実行本部長、地方行政調査会長
* 2006年10月 – 宏池会(古賀派)会長代理に、翌年9月27日、会長代行に就任
* 2007年 2月20日 – 衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された
* 2007年11月 – 1年ぶりに設置された自民党人権問題等調査会の会長に就任
* 2008年 8月 – 福田改造内閣で農林水産大臣に就任
2003年鹿児島市で行われた九州私立幼稚園研修会の討論会で、早稲田大学を中心とするイベントサークル「スーパーフリー」に参加していた女子大生が集団で陵辱されていた事件を司会の田原総一朗が取り上げ、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」というような発言をし大きく非難された。BBCやCBSなどにも取り上げられた。この発言が大きく影響し、2003年の第43回衆議院議員総選挙では落選した。
2005年郵政解散にともなう第44回衆議院議員総選挙で国政に復帰した後、宏池会丹羽・古賀派で一部の反対を押し切り古賀誠を会長に押し上げ、剛腕ぶりが非難された。
2008年、福岡市内での会合で福島瑞穂を「極左の弁護士」と呼んだ
関連する団体
* 日韓トンネル研究会顧問
* 日韓海底トンネル推進議連所属
* 「全国貸金業政治連盟」(全政連):サラ金業界の政治団体であるが、ここから政治献金を受けている
▼経済産業大臣
二階 俊博
生年月日 1939年2月17日(69歳(水瓶座))
出生地 和歌山県御坊市
出身校 中央大学
学位・資格 法学士
前職 和歌山県議会議員
衆議院議員秘書(遠藤三郎)
所属委員会
内閣役職 衆・国家基本政策委員会
世襲 2世
父・俊太郎(和歌山県議会議員)
選出選挙区 和歌山県第3区
当選回数 8回
所属党派 自由民主党(二階派)
問題
グリーンピア南紀
グリーンピア南紀(和歌山県)の跡地開発をめぐり、所有する那智勝浦町に中華人民共和国のリゾート会社『香港BOAO』を紹介したのは、地元政界に強い影響力を持つ二階だと報じられている。跡地は賃貸後の2015年に無料で業者へ譲渡されるという異例の契約となっており、地元で批判が高まっている。グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。その後、資金難を理由に開発計画を先延ばししようとしたペーパーカンパニーの疑いが濃い香港BOAOに対して那智勝浦町議会は、債務不履行を理由に契約解除を決めたが、違約金等で長引く可能性があり、そもそもこのような会社を紹介し、圧力をかけた二階氏に対する疑問の声は地元ですら多い。香港BOAO側も那智勝浦町長も二階氏に紹介されたと証言しており、自分は関係ないとする二階氏の態度に疑問がもたれている。
二階バイパス
2008年3月30日に国道42号線のバイパスとして開通した那智勝浦道路に関して、二階が強い影響力を持って作らせたとして『二階バイパス』と呼ばれている。15分を短縮させるために建設にかかった費用は1240億円である。
献金問題
* 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
* 日本道路建設業協会(道建協)の会員企業である奥村組土木興業など3,4社から合計168万円の献金を受け取ったことが2004年-2006年の政治資金収支報告書からわかっている。
親中派
親中派の有力議員の1人である。「北京オリンピックを支援する議員の会」所属。まだ保守新党が存続していた時代、地元の田辺市の新庄総合公園に江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」の文字と、自身も参加した2000年の日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講話を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、全国各地にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元の抵抗等もあって頓挫した。
新幹線の中国への輸出に関し、訪中時に新幹線担当の曽培炎国家発展計画委員会主任(大臣)、さらに陳健中国大使に対し、「日本は、中国から文化を教わり、その延長線上に今日の日本の繁栄がある。そのなかから、たまたま新幹線の技術を開発した。(中略)この技術が中国の発展にもしお役にたつならば、どうぞ一つお使いください。積極的に協力します」と発言した。
東シナ海の日中中間線でのガス田開発問題では、麻生外務大臣が中華人民共和国によるガス田開発強行に断固対応する姿勢を示すと、この「日本の対応に“こそ”問題がある」、「強硬に対応するなら勝手にやればいい」と述べた。
国土交通大臣 海洋政策担当(新任)
谷垣 禎一
生年月日 1945年3月7日(63歳)(魚座)
出生地 京都府福知山市
出身校 東京大学
学位・資格 法学士
前職 弁護士
所属委員会
内閣役職 国土交通大臣
世襲 2世
父・谷垣専一(元文相)
選出選挙区 京都5区
当選回数 9回
所属党派 自由民主党(古賀派)
党役職 党本部政務調査会長
* 1963年 麻布高等学校卒業。
* 1972年 東京大学法学部卒業。以後断続的に父・専一の秘書を勤めた。
* 1979年 司法試験合格。司法修習34期の同期生に伊東秀子
* 1982年 弁護士登録。
* 1983年 旧京都2区補選において衆議院議員に初当選。
* 1986年 衆議院議事進行係に就任。
* 1988年 郵政政務次官に就任。
* 1990年 防衛政務次官に就任。
* 1995年 衆院議運委員長に就任。
* 1996年 自由民主党総務局長に就任。
* 1997年9月11日 科学技術庁長官に就任(翌年7月30日まで)。
* 1998年 大蔵政務次官に就任。
* 2000年2月25日 金融再生委員会委員長に就任(同年7月4日まで)。
* 2000年11月21日 「加藤の乱」に際し、派閥の会長であった加藤紘一と行動を共にする。
* 2002年9月30日 国家公安委員会委員長に就任(翌年9月22日まで)。
* 2002年11月8日 産業再生機構(仮称)担当大臣兼務(前同。翌年4月10日、呼称から「(仮称)」が外れる)。
* 2003年7月1日 食品安全担当大臣兼務(前同)。
* 2003年9月22日 財務大臣に就任(第1次小泉第2次改造内閣)。
* 2003年11月19日 財務大臣に再任(第2次小泉内閣、第2次小泉改造内閣)。
* 2005年9月21日 財務大臣に再任(第3次小泉内閣、第3次小泉改造内閣)。
* 2005年9月26日 宏池会会長に就任。(加藤派→小里派→谷垣派)
* 2006年9月 自民党総裁選に出馬、3位。
* 2006年10月 自民党総務に就任。
* 2007年9月 自民党政調会長に就任。
* 2008年5月13日 旧谷垣派と旧古賀派の合流に伴い、宏池会の代表世話人に就任。
* 2008年8月1日 国土交通大臣に就任。(福田内閣改造内閣)
日中戦争時、梅機関の中心人物として汪兆銘政権樹立工作に携った影佐禎昭陸軍中将の外孫にあたる。妻・佳子との間に二女あり。
キリスト教系の政財官界人の親睦会「インターナショナル・VIP・クラブ」で講師を務めている。1990年代に「国会議員が集まって聖書を読みながら祈る会」を発足させたメンバー議員のひとりで、週1回のペースで同会の活動をしている。今日、同会は毎年夏に海外からも政治家が集まり、聖書を開き、祈りながら相互理解を図ろうという取り組みにまで成長している
環境大臣(新任)
斉藤 鉄夫
生年月日 1952年2月5日(56歳)(水瓶座)
出生地 島根県邑智郡羽須美村大字阿須那(現・邑南町)
出身校 東京工業大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程
学位・資格 工学博士
技術士
前職 清水建設社員
所属委員会
内閣役職 国家基本政策委員会委員
世襲 無
選出選挙区 比例中国ブロック
当選回数 5回
所属党派 公明党
党役職 政策調査会長
* 島根県邑智郡羽須美村大字阿須那(現・邑南町)出身。
* 修道高等学校、東京工業大学理学部卒業。東京工業大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了。
* 清水建設に就職。技術研究所に配属され、超音波探傷などの研究にあたる。途中、アメリカのプリンストン大学プラズマ物理学研究所の客員研究員を3年間勤務する。
* 清水建設退職。
* 1993年7月 第40回衆議院議員総選挙の旧広島1区で公明党から初当選。その後、比例区のみで選出。当選5回。
* 2008年8月1日、環境大臣に任命される。
人物
清水建設在席時、宇宙開発室にも勤務し、宇宙構造物建設を研究したほか、宇宙の未来を語る会事務局を勤めるなど、宇宙開発については、国会議員中でも有数のエキスパートである。
消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けている
防衛大臣(新任)
林 芳正
生年月日 1961年1月19日(47歳)(山羊座)
出生地 山口県下関市
出身校 ハーバード大学ケネディ行政大学院卒業
東京大学法学部卒業
学位・資格 MPA(Master in Public Administration、行政修士)
法学士
国会議員政策担当秘書
前職 衆議院議員秘書
所属委員会
内閣役職 予算委員会 筆頭理事
財政金融委員会 委員
世襲 4世
曽祖父・林平四郎(衆・貴族院議員)
祖父・林桂介(衆議院議員)
父・林義郎(衆議院議員)
選出選挙区 山口県選挙区
当選回数 3回
所属党派 自由民主党(古賀派)
党役職 自由民主党政務調査会副会長
参議院自由民主党政策審議会長代理
* 1979年(昭和54年)
o 3月 山口県立下関西高等学校卒業。
* 1984年(昭和59年)
o 3月 東京大学法学部卒業。
o 4月 三井物産株式会社に入社。物資部タバコ課の海外派遣員としてギリシャ、トルコ、ブラジル、アルゼンチン、アメリカ、タイ等の各国を視察。
* 1989年(平成元年)
o 6月 実家のファミリー企業であるサンデン交通株式会社に入社し、社長秘書となる。
* 1990年(平成2年)
o 7月 山口合同ガス株式会社に入社。
* 1991年(平成3年)
o 1月 アメリカに渡り、ハーバード大学政治学大学院特別研究生として留学生活を開始。
o 9月 ワシントンDCで、スティーブ・ニール下院議員の銀行委員会スタッフとして勤務。
o 11月 ウイリアム・ロス上院議員の国際問題アシスタントとして勤務。
* 1992年(平成4年)
o 9月 ハーバード大学ケネディ行政大学院に入学。
o 12月 父・林義郎が宮沢喜一改造内閣の大蔵大臣に就任し、大蔵大臣政務秘書官に任命されたため、ハーバード大学ケネディ行政大学院を休学してアメリカから一時帰国し、父の林義郎のもとで秘書となる。
* 1993年(平成5年)
o 9月 国会議員政策担当秘書資格試験に合格。
* 1994年(平成6年)
o 2月 ハーバード大学ケネデイ行政大学院に復学。
o 6月 ハーバード大学ケネディ行政大学院を卒業。
o 8月 父・林義郎の政策秘書に就職。
* 1995年(平成7年)
o 7月23日 第17回参議院議員通常選挙に郷里の山口県から自民党公認で立候補し、非自民統一候補の現職山田健一らを破って初当選する。
o 8月 参議院で 議院運営委員会、商工委員会、および 国際問題に関する調査会 に所属。
* 1997年(平成9年)
o 1月 行財政改革・税制等に関する特別委員会 に所属。
o 7月 自由民主党 参議院副幹事長 に就任。
* 1998年(平成10年)
o 1月 財政・金融委員会、議院運営委員会、行財政改革・税制等に関する特別委員会、および 国際問題に関する調査会に所属。
o 4月 経済活性化及び中小企業対策に関する特別委員会 理事 に就任。
o 8月 参議院予算委員会 理事 に就任。
* 1999年(平成11年)
o 10月 小渕恵三第2次改造内閣において大蔵政務次官に就任。
* 2000年(平成12年)
o 9月 財政・金融委員会 および 選挙制度に関する特別委員会 に所属。
o 10月 財政・金融委員会 理事 に就任。政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会 に所属。
o 11月 決算委員会 および 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 に所属。財政金融委員会 理事 に就任。
* 2001年(平成13年)
o 7月29日 第19回参議院議員通常選挙で、民主党岩本晋、共産党魚永智行、自由連合佐々木信夫、維新政党新風中島剛を破って再選。
* 2003年(平成15年)
o 5月 個人情報特別委員会 理事 に就任。
o 11月 予算委員会 理事 に就任。
* 2004年(平成16年)
o 10月 外交防衛委員会 委員長 に就任。
* 2006年(平成18年)
o 1月 参議院 議院運営委員会 筆頭理事 に就任。
o 9月26日 安倍晋三内閣において内閣府副大臣に就任。
* 2007年(平成19年)
o 7月29日 第21回参議院議員通常選挙で民主党戸倉多香子、共産党吉田貞好を破って三選。
o 10月 自由民主党政務調査会副会長、および 参議院自由民主党政策審議会長代理 に就任。予算委員会 筆頭理事(与党側)に就任。財政金融委員会 に所属。
村上世彰とは東京大学で同期の麻雀仲間として非常に親しい。
村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた。
林芳正代議士の車が当て逃げ
下関・新春パーティ前日飲酒運転のうえに
被害者の運転手を呼びつけ暴行 2004年1月27日付
長周新聞より
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/hayasiyosimasadaigisinokurumagaatenige.htm
内閣官房長官
町村 信孝
生年月日 1944年10月17日(63歳)(天秤座)
出生地 静岡県沼津市
出身校 東京大学経済学部
学位・資格 経済学士
前職 国家公務員(通商産業省)
所属委員会
内閣役職 内閣官房長官
世襲 2世
父・町村金五(衆議院議員)
選出選挙区 北海道第5区
当選回数 8回
所属党派 自由民主党(町村派)
党役職 税制調査小委員会長
年譜
* 1944年10月17日 – 静岡県沼津市に出生(北海道江別市出身)
* 1969年6月 – 東京大学経済学部卒業 7月 – 通商産業省入省。入省同期に、佐野忠克(経産審議官)、河野博文(資源エネルギー庁長官)、藤島安之など。
* 1974年6月 – 国土庁へ出向
* 1979年5月 – 日本貿易振興会(ニューヨークトレードセンター)に出向
* 1982年4月 – 通商産業省資源エネルギー庁石油部石油企画官を最後に同省を退職
* 1983年 – 衆議院議員選挙に立候補、初当選(旧北海道1区→現北海道5区、中選挙区時代の対立候補に政策科学研究所佐藤静雄)
* 1989年6月 – 宇野内閣で文部政務次官(-8月 8月 – 文部政務次官(-1990年2月)
外務大臣在任時の町村信孝
* 1990年3月 – 自由民主党文化局長
* 1997年9月 – 第二次橋本内閣 改造内閣で文部大臣に就任(-1998年7月)
* 1998年7月 – 小渕内閣で外務政務次官(-1999年10月 1999年9月から外務総括政務次官)
* 2000年3月 – 内閣総理大臣補佐官(-4月 教育改革担当)4月 – 小渕内閣 第二次改造内閣、第一次森内閣で内閣総理大臣補佐官(-7月 教育改革担当) 12月 – 第二次森内閣 改造内閣で文部大臣兼科学技術庁長官に就任(-2001年1月)
* 2001年1月 – 中央省庁再編に伴い、初代文部科学大臣(-4月) 4月 – 自由民主党幹事長代理(-2002年10月)
* 2002年10月 – 自由民主党総務局長(-2004年9月)
* 2004年9月 – 第二次小泉内閣 改造内閣で外務大臣に就任(-2005年9月)
* 2005年9月 – 第三次小泉内閣で外務大臣に就任(-10月)
* 2006年10月 – 清和政策研究会会長
* 2007年8月 – 安倍改造内閣で外務大臣に就任
* 2007年9月 – 福田康夫内閣で内閣官房長官に就任
* 2007年10月 – 中川秀直元自民党幹事長の町村派復帰に配慮し、自ら町村派会長を退き、代表世話人の職を設置
宗教
* 新興宗教崇教真光の信徒である。
外交
北方領土問題
外相の職にあった2004年、ロシアとのパイプが太い鈴木宗男と水面下で接触、北方領土問題の交渉進展のため、協力を求めたことがある。
2005年の中国における反日活動
2005年の反日デモの際は、4月に訪中した際、中国側の対応を激しく批判すると共に、中国側に迎合するかのような言動を繰り広げた加藤紘一や野田毅らに対し、「中国にゴマをする人間がいるから真の意味での日中関係がおかしくなる」と痛烈に批判している。
文教科学
学校制度
「十歳の大学生がいてもいいし、二十歳の中学生がいてもいい。年齢で学年が変わることは行き過ぎた平等だ」と、年齢主義を批判した。
未確認飛行物体
2007年12月18日に「地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体(UFO)の存在を確認していない」とする答弁書が閣議決定された。官房長官記者会見でこのことについて質問され、公式答弁は紋切り型にしかできないとしつつも、「私は個人的にはこういうものは絶対いると思っている」「そうじゃないと、ナスカのああいうの(地上絵)、説明できないでしょ」と半ば冗談で答えた[4][5]。
官房長官
司法制度改革
2008年7月18日、政府が掲げる司法制度改革の法曹人口3000人の実現に異議を唱えた、日弁連の法曹増加の見直しを求める提言に対し、身内である弁護士の報酬の低下という業界の利益を優先させていると指摘、「日弁連の見識を疑うものであります」とを強く批判した
系譜
町村氏 町村家は江戸時代、代々越前藩の支藩・府中領主本多家に仕えた武士の家系だった[7]。祖父町村金弥は奉行職町村家9代目当主・町村織之丞の長男として生まれた。金弥は札幌農学校に学び、北海道開拓事業にその生涯を捧げ、「北海道酪農の父」といわれた人物。父親は町村金五(元衆議院議員、北海道知事、参議院議員、自治大臣)、従姉の夫に原文兵衛(元参議院議長、警視総監)がいる。
国家公安委員会委員長
内閣府特命担当大臣 沖縄及び北方対策/防災
氏名 林 幹雄(新任)
生年月日 1947年1月3日62才(山羊座)
所属院 衆議院
選挙区 千葉県10区
当選回数 5回
政党 自民党
葉県香取郡東庄町出身。1970年に日本大学芸術学部文芸学科卒業。大学卒業後は父の秘書を経て、1983年から千葉県県議会議員を務める。1993年に衆議院議員に初当選し、以来5回連続当選。北京オリンピックを支援する議員の会所属。日韓議員連盟所属。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている
内閣府特命担当大臣 (金融) 行政改革担当/公務員制度改革担当
茂木 敏充
生年月日 1955年10月7日(52歳)(天秤座)(新任)
出生地 栃木県足利市
出身校 東京大学
ハーバード大学ケネディ行政大学院
学位・資格 行政学修士
前職 丸紅
読売新聞記者
マッキンゼー社上級コンサルタント
平成維新の会事務総長
所属委員会
内閣役職 衆・厚生労働委員長
元科学技術・沖縄北方・IT担当大臣
(第2次小泉内閣)
世襲 世襲ではない
選出選挙区 栃木県第5区
当選回数 5回
所属党派 (日本新党→)
自由民主党(津島派)
党役職 自由民主党環境部会長
村上ファンド・ライブドアとの関係
* 2004年7月から2006年2月まで、後援会費としてライブドア元社長の堀江貴文から合計20万円の寄付を受けていた。茂木の事務所は「堀江被告が立件され、全額返還した」としている。[1]
* 村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた。
委員会配布資料改ざん事件(長妻昭 vs 茂木敏充委員長)/厚生労働委員会5月14日
http://jp.youtube.com/watch?v=Z0WBTE13kMI
消された「ミスター年金」発言
どこが「不適切」?
まるで戦前の言論封殺だ。衆院厚生労働委員会の茂木敏充委員長(自民、栃木5区)
が、理事会の合意や発言者の了解もないまま、職権で勝手に議事録の発言を一部削除し
ていたというのだ。
削除されたのは、「ミスター年金」こと民主党の長妻昭議員の発言。長妻氏は昨年10
月24日の厚労委で年金記録問題について追及。舛添厚労相に対し「与党というのは、一
度でも不祥事を追及したことがあるんですか、政府の」と発言した。
この発言は、当初の速記録には載っていたが、茂木委員長が「不適切」と、今年1月
15日に議事録から削除させたという。実際、各議員に配布された「第168回衆院厚生労
働委員会議録」では、長妻氏の発言の一部が「――」と棒線で消され、逆に目立っちゃ
っている。
厚労委員長が無断で削除
当の長妻氏は「言論を戦わせる国会で、理事会も本人の了解もなく言論を削除するな
んて前代未聞でしょう。こんなことがまかり通っていいのか」とカンカンだ。18日付で
、茂木委員長に対して抗議文を送った。
そもそも、どこが「不適切」なのかもよく分からない。ちなみに、88年2月の衆院予
算委員会で、自民党の浜田幸一委員長(当時)が発言した「殺人者である○○君」なる
くだりは、そのまま議事録に残されている。
今回のように勝手に削除された例は、衆院では過去、社民党の今川正美議員(当時)
の「自民党政治につきものの利権政治」(02年11月)など3件ぐらいしか見当たらない
。だから永田町では、「ミスター年金に対する自民党の嫌がらせじゃないの」なんてう
がった見方も出ている。
茂木委員長は、新聞記者出身。言論の大切さはよくご存じのハズだが、取材を申し込
んでも回答はなかった。
【2008年1月25日ゲンダイ掲載記事
内閣府特命担当大臣 (男女共同参画/少子化対策) 拉致問題担当/公文書管理担当
中山 恭子
生年月日 1940年1月26日(68歳)(水瓶座)
出生地 東京都
出身校 東京大学
学位・資格 文学士
前職 大蔵省大臣官房審議官
内閣官房参与
所属委員会
内閣役職 内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)
世襲 無(夫:中山成彬)
選出選挙区 比例区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(町村派)
党役職 内閣総理大臣補佐官
所属院 参議院
略歴
* 1963年3月 東京大学文学部仏文学科卒業
* 1966年4月 大蔵省入省
* 1975年6月 国際通貨基金(IMF)
* 1985年6月 大臣官房企画官
* 1987年7月 東京税関成田税関支署長
* 1989年6月 理財局国有財産第二課長
* 1991年6月 四国財務局長
* 1993年6月 大臣官房審議官 9月 国際交流基金常務理事
* 1999年7月 駐ウズベキスタン特命全権大使
* 2002年9月 退官 内閣官房参与
* 2004年9月 辞任
* 2005年3月 国連改革欧州諸国担当大使(2005年9月辞任) 4月 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授 香川大学地域マネージメント研究科客員教授
* 2006年9月 内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当)
* 2007年7月 参議院議員(全国比例代表)
内閣府特命担当大臣 (経済財政政策/規制改革)
与謝野 馨
生年月日 1938年8月22日(69歳)(おとめ座)(新任)
出生地 東京都千代田区
出身校 東京大学法学部
学位・資格 法学士
前職 会社員
所属委員会
内閣役職 決算行政監視委員会委員
世襲 無
選出選挙区 東京都第1区
当選回数 9回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 国際競争力調査会最高顧問
税制調査会小委員長
財政改革研究会会長
歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫 喉頭癌をわずらっている。
敬虔なカトリック信徒
法務族
政界屈指の「法務族」議員である。薬害肝炎訴訟では、法務省との調整に与謝野があたり、2007年12月に福田康夫首相が政治決断する環境を整えた。この他、経済政策・財政に精通しており、自民党屈指の政策通と言われるが、国対や議運の経験も長く、本人は調整型政治家としての自負を持っているという。
増税論者
かねてから経済成長(法人税の減税による国際間競争力の強化)だけでなく消費税増税による財政再建に言及しており、谷垣禎一や柳澤伯夫同様、自民党内屈指の増税論者である。
中選挙区論者
小選挙区制廃止・中選挙区制復活論者でもある。
村上ファンドからの献金
村上ファンドから2004年の政治資金収支報告書記載分として40万円の献金を受けていた。
道路関係団体から献金
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
内閣府特命担当大臣 (科学技術政策/食品安全) 消費者行政推進担当/宇宙開発担当
野田 聖子
氏名 野田 聖子(新任)
生年月日 1960年9月3日(おとめ座)
所属院 衆議院
選挙区 岐阜県1区
当選回数 5回
政党 自民党
郵政事業民営化法案
2005年4月27日に政府提案(閣法)で上程された郵政民営化法案に反対したため、民営化反対派の急先鋒だと見なされたが、本人は「今の竹中プランでは駄目だと言っているのです」と説明(しかし解散総選挙後、小泉首相が国会に提出した郵政法案は中身は全く同じであったが、野田は7月の本会議から一転して賛成票を投じている)。「『民営化に反対だ』などと言ったことはない」、と否定。「国民生活を直撃」するインパクトを持ち、規制緩和の手本である合衆国ですら国営だと指摘し、法案が古い「二項対立論の焼き直しにすぎない」と批判を展開した。
批判や反対論を法案上程後一貫して主張し、全国特定郵便局長夫人会(会長・高田千代栄)が2005年6月14日に行なった郵政民営化反対の国会へのデモ(請願)行動に出席して挨拶に立ち、再度法案反対を表明。本会議の採決で自民党が党議拘束をかけた場合でも反対する意向を表明した(2005年6月15日)。
7月5日の衆議院本会議における法案採決には党議拘束に造反して青票(反対票)を投じ、五票差で可決となったが、法案は参議院で否決された。なお、夫の鶴保庸介は、師事してきた二階俊博の判断を尊重し、参議院本会議の採決で白票(賛成)を投じたが、国会での記者会見で8月10日、所属する二階グループ「新しい波」へ脱会届を提出したと表明。その理由として、「夫としては当然、妻の応援に向かわなくてはならない」と述べ、党選挙対策本部事務局長である党総務局長・二階俊博に迷惑はかけられない旨説明している。さらに「法案に反対したものすべてが改革反対論者であるような風潮や、総裁(小泉首相)の言動に疑問を感じる」と付け加えて首相の政治手法を批判した。
自由民主党岐阜県支部連合会(会長・古屋圭司)は8月10日、岐阜市内で執行部会・常任総務会合同会議を開き、県連規約を改正し、党公認がなくても総選挙で支援することを決定した。会議の席上、法案に賛成した金子一義が異論を唱えたが、これに対し「県連は一致して法案に反対している。地方の声を聞くのが国会議員だ」とする反論も出た。衆院解散後、8月12日に開かれた初の選対会議は県連規約を改正した上で、造反組の野田聖子、藤井孝男、古屋圭司の支援を正式決定、自民党本部の執行部が対立候補を立てた場合、これを支援した党員は、県連党紀委員会にかけて処分することを表明して党本部との対決姿勢を鮮明にした。
日本外国特派員協会 (FCCJ: The Foreign Correspondents’ Club of Japan) における昼食講演会 (Professional Luncheon) で2005年7月6日、郵政民営化と少子化対策について英語で講演し、質疑で民営化法案の今後について問われ、廃案を期待しているとしながら、「今後どうなるかは分からないが、ひとつだけ言えることがある、ミスター小泉はもはやダイナマイトではない(威力は低下している)」 (“I don’t know (if there will be political confusion) , but one thing I can tell is, Mr. Koizumi is no longer dynamite.”) と英語で即答してみせ、約百人の記者団・特派員からどよめきと喝采を浴びている。
しかし総選挙終了後に与党が圧勝すると、後援会幹部や地元・自民地方議員らから法案に賛成するよう強い要望が出た為に路線を変更し、再度提出された郵政民営化法案に賛成票を入れた。同年10月に野田は自民党から離党勧告され離党をするが、その後、安倍晋三総裁(首相)の主導の下、郵政造反組の復党が検討され、2006年12月に自民復党を果たした(郵政造反組復党問題)。
その他
事務所放火事件
2007年8月10日、深夜、岐阜にある野田の事務所に何者かが侵入し、パソコンと防犯カメラ用デッキが盗まれたうえ、事務所に放火された。燃えたのはビル一階の事務所であるが、ビル五階にまですすが達する火災となった。
野田は「昔から政治活動する人は、いろいろな妨害や危害を加えられてもやり続けている。私もそういう被害にあって、屈せず頑張るしかないというのが率直な心境だ」[1]と述べたうえで、犯行について「ひきょうだと思う」と指摘した。
事件の後、事務所はビル二階に移転。政治日程やメールマガジンの配信などが一時的に滞った。事件の犯人は捕まっておらず、真相は明らかとなっていない。
内閣官房副長官
塩谷 立
生年月日 1950年2月18日(魚座)(新任)
所属院 衆議院
選挙区 静岡県8区
当選回数 5回
政党 自民党
清和政策研究会(町村派)所属。父は元衆議院議員の塩谷一夫。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1990年、旧静岡3区から自民党公認で衆議院議員当選(1期)。1993年にも当選(2期)するが、小選挙区となった最初の1996年の総選挙では北脇保之(前浜松市長)に敗れ、北脇が市長に転じた1999年の補欠選挙で当選(3期)。2000年の総選挙で鈴木康友(現浜松市長)に敗れ再び落選するが、2003年に鈴木を僅差で破って返り咲き(4期)、2005年には鈴木に比例復活当選をさせないほどの大差で当選した(5期)。日韓議員連盟常任幹事。 2008年8月、福田改造内閣で、内閣官房副長官に任命された。
役職歴
* 文部科学委員会筆頭理事(現)
* 自民党 政務調査会 副会長(現)
* 国土交通委員長
* 文部科学副大臣
* 総務政務次官
* 衆議院 経済産業委員会筆頭理事
* 環境委員会理事
* 決算委員会理事
* 地方行政委員会理事
* 商工委員会理事
* 文教委員会理事
* 自民党 文部科学部会長
* 地方行政部会長代理
* 建設部会長代理
* 国防副部会長
* 青年局長
* 商工・中小企業団体関係委員長
* 財団法人国際青少年研修協会会長
政治的立場
* 静岡空港の建設推進派国会議員の1人である。
* 北京オリンピックを支援する議員の会、日韓議員連盟所属。
ゲンダイネットより2008年5月9日掲載
片山さつき「ブログ騒動」
自民党の片山さつき衆院議員(静岡7区)が地元で総スカンだ。
片山は7日の「さつきブログ」で、「弱い自民党女性部の典型、浜松の問題は女帝」と題した記事を掲載。この内容にトンデモない記述があった。地元関係者が言う。
「隣の静岡8区選出の自民党・塩谷立衆院議員の関係者で党浜松支部の女性部顧問を名指しし、『塩谷先生の先代の一夫先生のおめかけさん』と書いたのです。これを見た塩谷事務所関係者はカンカンになって片山氏に抗議。記事部分はすぐに削除されましたが、名指しされた女性は『名誉棄損で片山氏を警察に訴える』と怒りが収まらない。塩谷氏の支援者も『片山は国替えして出て行け』と大騒ぎです」
片山氏に記事の真意を聞くと「いわれていることを書いただけ。私は開かれた政治をしたいので、なるべく情報を公開する。訴えるなら、こちらには顧問弁護士がいる」と強気。一方、同僚議員から予想外の“口撃”を受けた塩谷氏は「どういう意図で書いたのか理解に苦しむ。ブログに書く前に直接話をするのがスジではないか」と憤る。
次期衆院選で、静岡7区は注目区のひとつ。片山と、郵政造反組の城内実氏に、元NHKアナウンサーの斉木武志氏=民主党公認=の東大卒三つ巴の激戦になる。騒動が起きた浜松市は、7区、8区にまたがる票田。自民党浜松支部も両区にまたがっているから、古参の女性支援者にソッポを向かれると片山は厳しい。
内閣官房副長官
岩城 光英
氏名 岩城 光英(イワキ ミツヒデ)(留任)
生年月日 1949年12月4日(射手座)
所属院 参議院
選挙区 福島県
当選回数 2回
政党 自民党」
不祥事
政治資金収支報告書虚偽記載
岩城が代表を務める自由民主党福島県参議院選挙区第一支部と岩城の資金管理団体「光と風のフォーラム」が、パーティー券購入者から依頼され、受領した50万円の政治資金収支報告書上の項目を「パーティー券収入」から「寄付」に訂正し虚偽の記載をしていたことが発覚した[1]。
自由民主党福島県参議院選挙区第一支部が2005年11月に開いた政治資金パーティーにて、コンサルティング会社が50万円分のパーティー券を購入した。その際、コンサルティング会社の経営者はパーティー券購入代金の税控除を受けたいと考え、控除に必要な書類を岩城の事務所に要求した。岩城側はこの要求を受け入れ、2007年2月に福島県参議院選挙区第一支部の政治資金収支報告書から50万円を削除し、その50万円を当該経営者が「光と風のフォーラム」に寄附したことにして報告した。パーティ券購入は税控除対象外だが寄附なら税控除対象になるためとみられるが、この行為に対し総務省は「制度の趣旨からして事実を記載しないのは虚偽記載に当たりうる」と見解を示している。2007年9月2日、岩城は「時期的にパーティーが始まる前に振り込まれたお金だったので、パーティー券の購入かと思って処理していた」と説明し 「あくまでも個人献金。虚偽記載とは思わない」と釈明している。
政治資金収支報告書と選挙運動費用収支報告書の二重計上
岩城を支援する政治団体「いわき光英を励ます会」の政治資金収支報告書と、岩城の選挙運動費用収支報告書との双方に、岩城の演説会の会場費6万3000円を二重計上していたことが発覚した。
第20回参議院議員通常選挙投票日を控えた2004年6月30日、福島県で岩城が演説会を開いた際、岩城の選挙運動費用収支報告書に会場費を計上したが、「いわき光英を励ます会」の政治資金収支報告書にも会場費を計上し、領収書のコピーを添付していた。
岩城は総理大臣官邸にて記者会見を開き、「いわき光英を励ます会」会計責任者が会場費を立て替え、後に岩城の陣営にて精算したため起きた「事務的なミス」と語っている。
内閣官房副長官
二橋 正弘
生年月日 1941年12月27日(66才) 山羊座-
富山県出身。高岡高校を経て、東京大学法学部卒業後の1964年 自治省に入省。静岡県副知事、自治省財政局長などを経て、1999年自治省最後の事務次官に就任。2003年9月から第1次小泉内閣第2次改造内閣以降の小泉内閣で内閣官房副長官(事務担当)を務めた。2006年9月の安倍内閣発足、的場順三の起用に伴い退任するが、2007年9月発足した福田康夫内閣で再起用される。経験者の再起用は異例。 2008年8月1日発足の福田改造内閣でも引き続き内閣官房副長官に任命された。
略歴
* 1964年:東京大学法学部卒業、自治省入省
* 1991年:静岡県副知事
* 1993年:自治大学校長
* 1994年:自治省大臣官房総務審議官
* 1995年:自治省大臣官房長
* 1996年:自治省財政局長
* 1999年:自治事務次官
* 2001年:(財)自治体国際化協会理事長
* 2003年:内閣官房副長官(小泉内閣)
* 2006年:(財)自治総合センター理事長
* 2007年:内閣官房副長官(福田内閣)
プロフィール
富山県大門町出身。近くを流れる庄川のそばで両親の背中を見ながら育つ。小学校の大先輩小林与三次元自治次官にすすめられて自治省に入省。東京と福島、鳥栖、熊本、広島、和歌山、静岡をそれぞれ往復して勤務。各地で一緒に仕事をした仲間とのお付き合いは、ずっと続いて自分の一番の財産。
信 条
「この地べたの上で起きたことで、何ともならないことはない」
「山より大きな猪は出ない」
趣 味
映画、絵画、レコード(ジャズ、浪曲)の鑑賞
官房副長官というと二橋正弘官房副長官が有名だけれど、「皇室典範改正法案」を強行しようとしたことで安倍・二橋は険悪の中になってしまったという経緯もあるわけですね。byオフィスマツナガ
二橋は昨年末、渡辺行革相の独立行政法人改革を骨抜きにした“実績”がある。事務方の官房副長官である二橋は、事務次官会議を仕切る、官僚界のトップである。 byクレージーパパ
内閣法制局長官
宮崎 礼壹
生年月日 昭和20年5月13日(牡牛座)
出身地 東京都
略歴
昭和42年 9月 司法試験第二次試験合格
43年 3月 東京大学法学部卒業
43年 4月 司法修習生
45年 4月 東京地方検察庁検事
46年 3月 岡山地方検察庁検事
49年 8月 東京地方検察庁検事
52年 4月 札幌地方検察庁検事
54年 3月 東京地方検察庁検事
59年 11月 法務省刑事局参事官
62年 9月 内閣法制局参事官(第二部)
平成 5年 7月 内閣法制局総務主幹
8年 1月 内閣法制局第二部長
14年 8月 内閣法制局第一部長
16年 8月 内閣法制次長
18年 9月 内閣法制局長官
プロフィール
終戦の年の5月、両親の疎開先であった現在のさいたま市の外れで生まれ、5歳までを過ごした。昭和25年、小規模な織物卸会社を営んでいた父について東京に出て来、以後は東京で成長した。
東京大学法学部に学び、司法試験に合格、司法修習生を経て検事に任官した。
東京・岡山・東京・札幌の各地検で合計9年間勤務した後、法務省矯正局付検事となり、おりからの監獄法改正作業等に携わった。この時の立法作業と多少の行政事務経験が、結果としてその後の進路を決定した気がしている。
その後1年弱東京地検で勤務したのち、3年弱の法務省刑事局参事官を経て、内閣法制局に出向を命ぜられ、今日に至っている。内閣法制局参事官時代に担当した法案としては、PKO法案・行政手続法案等が特に思い出深い。
好きな余暇の過ごし方
中年になって始めた健康のための山歩き。 -